new friends in ache – icaios

I had the great honor to participate in the “ICAIOS – Public Discussion Series #91 Return to Surf in Post – Tsunami Aceh and Fukushima” on November 28, 2022. The discussion got me thinking about the connection between the ocean and people, and the environment and community in which people live.
So, here is a summary of the discussion in Japanese to share with our friends in Japan. The entire discussion was recorded and is available on ICAIOS’ Facebook page in English: here

11月28日にアチェ・ インド洋研究アチェ国際センター (ICAIOS – Aceh-International Center for Aceh and Indian Ocean Studies)の トークイベント「Public Discussion Series #91 Return to Surf in Post – Tsunami Aceh and Fukushima(仮訳:アチェと福島 津波 の後で 再びサーフィンに)」に参加しました。海と人とのつながり、そして 人の生きる環境やコミュニティを考えさせられる内容でしたので、ぜひみんなと共有したくこちらレポートをお届けします。

これからアチェの人々と良き交流が始まる予感がしています。とても嬉しい出会いです!このトークの全編はICAIOSのfacebookページでアーカイブ配信(英語のみ)されていますので、こちらもどうぞご覧ください。

ICAIOS PDS 91
photo by Adam Doering

アチェと福島 サーフィンへの回帰
ICAIOSは、アチェの3つの州立大学と州政府、そして研究者によって運営される研究機関で、ア チェ在住の研究者のサポートを行なっています。 本トークは、そのICAIOSのパブリック・ディスカッション・シリーズ (PDS) の第91回として行 われました。共に津波の被害にあったインドネシアのアチェ(2004年12月26日、スマトラ島沖 地震津波)と福島(2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震)。そのふたつの土地のそれぞれの サーファー達の津波の体験とReturning (リターニング・回帰) から、人と環境とのつながりを考 える公開ディスカッションです。

スピーカーは3名のサーファー。カナダ出身で和歌山大学准教授アダム・ドーリング(Adam Doering)さんとインドネシア出身でガジャ・マダ大学講師/オタゴ大学博士課程在籍中のサラ ニ・ピーター・パカン(Sarani Pitor Pakan)さん、そして福島サーファーの私、高橋優子(縁側の家)です。アダムさんとピーターさんは共に人文・社会学的な見地からサーフィンにまつわる 現象を検証する研究者。アダムさんはニュージーランドのオタゴ大学で教鞭をとっていた頃、ピーターさんの指導教官だったそうです。

Sarani Pitor Pakan and Adam Doering

サーフィンと人、人と海・波・環境
本トークのタイトルでもある「Return to Surf in Post-Tsunami Aceh and Fukushima」(仮 訳:アチェと福島 津波の後で 再びサーフィンに)は ピーターさんとアダムさんの研究プロジェクト の一つ。土地や環境との関わりが深いスポーツ愛好家は、災害後の比較的早い段階でその土地に戻る、という世界各地での先行研究を踏まえた研究です。なお、たいていの場合、最初にその土 地に戻るのはサーファーだそう。人と環境、人と海との関係がどのように日常生活に影響を与える かを言語化するふたりの研究は、身体と土地の関わりに強くひかれてきた私には、とても興味深 い内容です。

個々の体験の記録 オーラル・ヒストリー(聞き取り)
ふたりの研究手段は、オーラル・ヒストリー(聞き取り)。共にサーフィンをしてアチェや福島の サーファーと時間を過ごし、津波前と後の話をじっくりと聞き取ります。それらの体験談から、津 波を経験した沿岸地域の海・波と人との関係性・つながりを浮き彫りにするフィールドワークで す。

インドネシア アチェ州ロクンガ
最初にピーターさんが紹介してくれたのは、アチェのロクンガ(Lhoknga)の現在57歳(津波に 遭遇したのは18歳くらい)のサーファーのストーリー。ロクンガは 70/80年代ごろから欧米の サーファーに知られるようになり、80年ごろからサーフツーリズムが始まった土地です。

「放課後になるとまっすぐ海に向かい浜でお母さんと会い、そこで料理のお手伝いをして 友達と遊ぶ、そういう子供時代を過ごしました。海では最初は板を使ってボディーボード のように遊んで、それからサーフィンを始めるように。礼拝がある金曜日以外は毎日海で 過ごしました。海にいると自由で幸せだった。津波が来た日は、ビーチにいました。何も 変わった様子はなかった。でも母の様子を確かめろ、という声が頭に響き、家へ向かいま した。そして母を連れ、避難をはじめました。母があまりにも強く私に先に行って姪っ子の様子を見てきて、と頼むので、躊躇しながら走り始め、振り返ると、もう誰もそこには いませんでした。結局私はこの津波で両親、兄弟姉妹、甥と姪、数えきれないほどの友人 を失いました。」故郷から60キロほど離れた避難所で暮らしていた彼は、2006年ごろ再 び海に戻ることを決心します。「どうやったら人は悲しみから癒やされるのだろう。最初 は海に入ることから始め、徐々にサーフィンを始めました。海に戻ると、もう恐怖はあり ませんでした。津波や喪失のトラウマについて考えることはなくなりました。」

Returning (リターニング・回帰)
ピーターさんがアチェのサーファーのReturning (リターニング・回帰)の要素として挙げた要素 は、そのほとんどが私の体験と重なることです。 身体に染みついている海への親愛・インティマシー、津波の体験で抱えた海への恐れ・トラウマ (そしてそれらはサーフィンで消えたこと)、サーフィンをしようと思ったのは友人・コミュニ ティと一緒にいたかったから、さらにサーフポイントの地形の変化など。サーフィン中に感じる解 放感や幸福感については言うまでもありません。

musibah (misfortune/試練) と berkah (blessing/祝福)
アチェのサーファーと私との大きな違いといえば、信仰的な要素です。アチェの大半の人々はイス ラム教徒であり、musibah (misfortune/試練) と berkah (blessing/祝福)という考え方があるそ うです。試練はより善いことがもたらされる神の計らい、といった感じでしょうか。 私には強い信仰的基盤はありませんが、でも大きな悲しみや理解しがたい事態に遭遇すると、そ の出来事の良い側面を少しでも見つけて慰める、そういう対処を自然に行なっているように思い ます。ですからこの対処法の呼び方が違っているだけで、本当のところ、悲しみへのアプローチ としては、アチェの人々と似ているのかもしれません。

福島県 南相馬市(北泉海岸) — 開かれたサーフコミュニティ
次にアダムさんが紹介したのは南相馬 (北泉海岸) のサーフカルチャーです。福島県のサーフコ ミュニティ・カルチャーに精通しているアダムさんによると、浜通りには沿岸に沿ってそれぞれに ユニークなサーフカルチャーが形成されているそう。特に、南部(私のホームポイント岩沢海岸も 南部に入ります)は、都心部からのアクセスが良いために訪問サーファー (ビジターと呼ばれます)が多く、そのために自分達のテリトリーを守るために強いローカリズムが形成されたとのこ と。浜通りの北部に位置する北泉ポイントでは都心部から離れているためビジターが少ない、そ れ故むしろ他の場所からサーファーが訪問してしてくれることがうれしく誇らしくもある。それで ビジターを歓迎する開かれたサーフカルチャーが誕生したそうです。こういったオープンな性格の サーフコミュニティは世界中でもとても貴重な存在だそう。う、うらやましい。。。

サーフタウン・南相馬市
この特別な性格性ゆえに、サーフ・ツーリズムに国内でいち早く着手したのも南相馬市なのだそ う。市の助成を受けたNPO団体がライフガードの活動をし、市がサーフタウンとしての宣伝活動 を始めたのが2003年ごろ。2006年にはハッピーアイランドサーフツーリズムが福島大学の岡本英 樹教授を中心に設立され、海と共に人々(サーファー)が生計を立てられるサポートを始めたそ うです。例えば、ライフセーバーを組織化して夏の収入を確保するとか。南相馬市のサーフタウン としての展開は2010年のBillabong Surfing Games 南相馬市長杯でピークを迎えます。その後は避難やサーフィンの自粛、そして2019年に待望の海開きと続くパンデミック、、、私たちとほ ぼ同じストーリーです。

堤防は海と人とを隔てるの?
そしてアダムさんは浜通りに築かれたそびえ立つ堤防にも触れました。確かに私の海は今、河口を 除き、ほぼ全てが堤防を携えています。でもそれが440のコンクリート壁からなる全長405キロの 大堤防群の一つであるとは知りませんでした。私の母が繰り返し語る幼い頃の思い出、賑やかな 時代劇の撮影が行われた美しい広野の浜辺は今、その440のうちの一つの壁の下です。堤防が人 と海を隔て、個々のビーチのユニークな性格も消し去ってしまうのではないかとアダムさんは懸念 を示します。

キーパーソンのパーソナリティ
さらにアダムさんは南相馬でサーフショップを営むKさんの体験も共有してくれました。震災以前 からKさんの活動は全てコミュニティへの貢献に基づいていたそうです。アダムが強調するのはK さんの謙虚な態度。もの静かで優しいKさんの存在が北泉の開かれた素晴らしいサーフカルチャー の基礎になったのではないかと。

サーフィンの必要性とコミュニティ
Kさんは震災直後には娘さんの住む東京で1ヶ月ほど過ごしました。その後、仙台で就職が決まっ た奥さんと共に仙台へ。でも仙台でも居心地が悪かった。それで震災から3ヶ月後の6月には南相 馬近くの仮設住宅に移ったそうです。Kさんは震災以降サーフィンをしていませんでした。6月か 7月には耐えられなくなったと。今サーフィンをしなかったら二度とサーフィンができなくなる。 それでサーフィンをしたそうです。北泉では、三回忌まではサーフィンを自粛しようということに なっていた。海が汚染されているかもという恐れよりは喪失感からサーフィンから離れたサー ファーが多かった。でもKさんは我慢できなかった。他にも我慢できないサーファーもいて、朝日 が昇る前にこっそり海にはいる、そういう人もいたそうです。サーフィンは死なないために必要 だった。Kさんは震災から1年後に南相馬でサーフショップを再開します。

今は、ライフガードの組織化やサーフィンを教えたり、ショップのサーフィン大会を開催したり、 日々ショップで過ごしているそうです。コミュニティを感じること、良いと思ってやっていること を続けて、次世代につなげていく。そうしたらいつかまた人が戻ってくるんじゃないかな、そうア ダムに語ってくれたそうです。

縁側の家とこれから
海から離れることができない私の身体は、海の人(アダムのいう“Ocean person/people”)として の証であると知り、何かホッとしたところで、私の海とのつながりをお話ししました。幼いころ から感じている海との共鳴、岩沢サーフコミュニティの人々の近さと再構築。そして縁側の家のこ れからの展望など。

2023年3月11日も波に乗ろう
2022年の3月11日は縁側の家にとって大きな節目でした。三原聡一郎 オンライン展覧会 「空白に満ちた世界 」の関連イベントとして「3月11日に波に乗ろう」を三原聡一郎、國學院大學文学部松谷容作研究室(当時)、Do a Frontと縁側の家の共催で行いました。共に海に入り、美味しいご飯を食べ、語るというシンプルなイベントです。なんと私は、この日から震災がようやく過去 になったのです。過去の恋をああそんなこともあったねと笑えるようなすっきりした気分です。来 年(2023年)の3月11日も「3月11日に波に乗ろう」を行う予定で、三原・松谷さんと作戦会議中です。どうぞお楽しみにしていてください。なお、2022年の私たちの一日のドキュメンタリー 映像はこちらでご覧ください。

3月11日は海に入って美味しい食事を共にする

wesurfukushima
自慢の仲間も紹介しました。福島で唯一の現役プロサーファーのエンドウ・ユウコさん、2022年 1月にようやく帰還困難区域での立ち入り規制緩和となった富岡町の世の森駅前で農業に挑むワタナベ・タカユキさん、スケートボードのシェイパーの anitoya サイトウ・ユウキさん、心のこ もった丁寧な調理をする料理人のタカハシ・ヒデカズさん(縁側の家 弟)。この土地に気持ちの 良い風景と波を起こしたいと願うサーファー仲間です。これから何が出てくるかはお楽しみに。

立ち入り規制や堤防など、あっちとこっちの境界が濃く浮き出るこの土地から創られるものな ら、きっと面白いものに違いない、とわくわくしています。

このトークのアーカイブ映像は、ICAIOSのfacebookページでご覧いただけます(使用言語 英語)。ぜひご覧ください。